もどる
啄木を世に出したのは、親友の、金田一京介である。
その息子の金田一晴彦は、事あるごとに啄木の悪口を言っている。
啄木は、晴彦がまだ子供のころ、貧乏な、金田一家に金を無心に来ては、女を買いに行っていたようである。
大ばか者だ。
しかし、作品は別である。
金田一京助は、学者として公平に、啄木を扱ったし、啄木の人気は、彼の出世にも、大いに役立ったであろう。
京介は、聡明にも、正しい行動を取った。
啄木は、小説家になりたかった。貧乏して、家族を養いながら、何とか、物になりたくて努力したが、甲斐なく、26歳で死んだ。
啄木の歌集がヒットして、名が世に知れるようになったのは、彼の死後である。
啄木にとって短歌は、いわば、余興のような物だった。なりたかった小説家の才能は、開花せず、遊びでやってる短歌に才能があった。
「悲しき玩具」と言うタイトルは、ここから来ている。
貧乏に苦しみ、夢に苦しみ、病弱な身体に苦しみ、人生に苦しむ若者の思いが、啄木の歌には、染み込んでいる。
短歌や和歌など、全く分からなくても、全く興味がなくても、誰でもこの、啄木歌集のみには、心を動かされるだろう。
