クリスマス・キャロル

クリスマス・キャロルを読んだら最後、ディケンズのほかの作品は読む気がしない。だって、そのくらい大事にしたい作品だからだ。
よく、うがった解説者が、ストーリーが予想通りで・・・などと書いている。
私が反論したいのは、では、何故、二回目読んでも感動するの?・・・ってことです。
まさに、この話は、読者の予想通りに進んでいく。最初の一ページを読めば、ストーリーが分かる。作品の良さとは、高度な視点においてはストーリーの非凡さなど吹っ飛んでしまうのだ。
この作品をこれだけ名作にしているのは、そこに時折現れる、作者の声だと思う。映画なんかでは、途中でいきなり監督が出てきて、この人って馬鹿ですよねぇ・・・なんてやっているのは、ついぞ見かけない。小説でしか、作者は自分の感想とかストーリーの途中で生の声で入れられない。この作品では、かなり頻繁にディケンズが現れて、ものを言っている。最初はわりかし控えめに、そして最後は全面に作者が出てくる。まるで作者が目の前にいて、ストーリーを語っているかのようだ。
人の喜びとは何か、幸せとは何か・・・を追及すれば、こんな、単純なのだ。宗教の難しい教義などいらない。人が大事にすべき物は世界中、同じだ。
私は最後の二ページくらい涙で文字か読めなかった。あなたが、この作品を読んで、何の感動も覚えないとしたら、きっと、心を病んでいる。半年くらい、気ままに生活してみることをお薦めする。そして、もう一度、読んでみればいい。きっと、ああ、良かった。と、思うでしょう。

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