黒い稲妻

第一部  壊れゆく世界

第四話

遊び疲れて眠ってしまった女の子を託児所に預け、イチロウは
(さて、どこにしようか?)
と迷った。
彼はなんと言っても美波の心臓麻痺の件を解決したかった。データーでは確かに、美峰の家族に心臓麻痺の遺伝性は確認できなかった。
(しかし、遺伝子医学と言えども完璧ではないはず。)
研究所内では健康診断は1年に一回しか行われない。この1年の間に突然、美波の体に兆候が出たとも考えられる。だとすると、双子の美峰の体にも・・・
(とりあえず、職務質問するか?・・・嘘を答えるかも?・・・あるいは本人も気付いてないかも・・・)
イチロウはそんなことを考えながら彼女とよた話をしていた。
「綾乃は、彼の連れ子なの・・。彼、暴力をふるう人だったから・・・」
「ふうん・・・」
彼女は、別れた旦那とはその後音信を絶ったとか、綾乃は自分が育てるとか、ペラペラと話まくっていたがイチロウはほとんど聞いていなかった。
彼は美峰の顔をあらためて眺めていた。
(こんないい女は見たことがない・・・同じ顔でも、中身が違うとこんなにも変わるものか・・)
美波は、ともすると腰に手を当てて構えたりしたものだった。質問への答えは常に慎重かつ迅速かつ的確だった。付け込まれる隙のない女だった・・・仕事の上では。
(してみると美波は凄いエネルギーを消費しながら働いていたんだろうな。)
美峰は、いつも甘えん坊のような顔をしていたし、声にも甘ったるさがあった。おだてると恥ずかしそうにしながらも、うれしくてしようながいのが良く見て取れた。美峰は、切れ長の二重まぶたをしていて鼻は高くもなく低くもなく目立たない鼻で唇は癖がなく多きすぐも小さすぎもしない完璧さがあった。なんと言っても顔全体、体全体のバランスがよく、髪は姉と同じセミロングだった。身長は170センチくらいだった。肌は、低音セラミックのようにつるつるに輝いているようで色はかなり白かった。
(せっかくだから、もっとゴージャスな服を着ているときにヤリたいものだな。)
いつの間にかイチロウはそんなことを考えていた。
「じゃ、行こうか。」
パーをでると、彼は即、美峰を抱き寄せてキスをした。
イチロウの思考回路は感情回路に支配され、最早、調査なのかプライベートなのか分からなくなっていた。バイオ皮紙ズボンといえども強大化してきた肉体の一部を自動的にどうこうすることはできなかった。彼はそれを右手で強引に上へ向けると、どうだと言わんばかりに美峰の下腹部に押し付けた。


美峰の心臓は健康だった。水泳で鍛え垂れた彼女の体力は姉よりも格段に上だった。疲れを知らないかのごとくだった。その彼女をイチロウは攻め続けた。姉と同じように、ただ、その口から喘ぎともうなりとも、とれないような声が漏れ続けるまで。それでも彼は攻め続けた。彼の背中から流れる汗が美峰の体に滴った。美峰が最後に
「・・・もうダメ・・・死んじゃう・・・」
と口にしてから3時間が経過していた。彼の腰は不死身のように衰えを見せなかった。
(この女の心臓は姉の心臓とは全く違う。)
ついに彼は確信した。

彼はその夜、何度も美峰を抱いた。
(美波の死んだ原因は、オレじゃない。)
安心感から、イチロウの心に隙間を作ったむきもあったかもしれなかった。
「美峰は、かわいいな。生でヤッちゃおうかな。」
彼は何度も口にした。

真夜中・・・何時ごろなのか分からなかった。イチロウは立ち上がり、美峰の体を見つめていた。ホテルの窓からはセンター地区の研究所ビルが黒く不気味にそびえていた。


外の世界のファーストフードチェーン店は所内にもも無数にあった。それは、所内の警察署にもあった。若い者は上司と顔を合わすのが嫌で、ここで朝食をとるのを敬遠する向きが多かったがイチロウと知花の上司は美波だったので、彼らには習慣となっていた。
イチロウは固いフランスパンのハンバーガーをその強いあごで噛んでいた。知花がやってきて
「おはようございます。」
と挨拶をした。イチロウは黙ってパンを噛み続けた。イチロウが、朝、機嫌が悪いのを知花は承知していたので、気にもしないで座った。
「んー・・・Dセット。」
イチロウの様子から知花は、彼がまだ、”あのこと”を知らないと見て取った。それは今ここで話すべき内容だった。彼は、イチロウの気分が朝の不機嫌から立ち直ってくるのを待った。イチロウが休み明けに最初に口にする一言はいつも同じだった。
やがて彼が
「何か、変わったことはなかったか?」
と言うと、知花は待ってましたとばかりに答えた。
「マリアが実体化しました。」
「はぁ?」
イチロウのアゴの動きが止まった。
「実体化?」
手で塊のようなものを表現した。
「はい。」
「なんだ?それ?」
非常に高いトーンだった。
「ヒューマノイドらしいです。」
「ロボットか・・・」
ホッとしたように又、パンを噛みだした。
「いいえ。」
しばらくパンを噛みながら、イチロウは考えるともなく考えたいたが
「?」
と、首を捻った。
「わからん。」
「量子変換装置です。」
厄介な言葉が出た。科学的な知識はイチロウにはほとんどなかった。
「量子変換・・・どこかで聞いたような・・・?」
「例のキド博士の研究です。」
どうりで、イチロウにも聴き覚えがあるはずだった。
(今捜査中の案件じゃないか。)
「ええと・・確か・・・」
イチロウはまたしても手で、塊を表現した。
知花は、イチロウを安心させるかのように笑いながら言った。
「僕にも、詳しいことは分かりませんよ。」
「うむ・・」
「要はエネルギーから物体を作り出す技術です。」
「でも、まだ、研究段階じゃなかったっけ?」
「そうです。」
「変じゃないか?・・・キド博士はあの技術をほとんどひとりで研究していて他のものには単純なデーター解析とかしかやらせなかったんだろう?」
「はい。」
「じゃ、誰が技術を完成させたんだ?」
「イチロウさん。」
知花は、笑いながら言った。いわゆるガハハ笑いだった。彼女にはそれが良く似合った。
(これくらい、いい女だと、こんな笑い方もセクシーだな。)
内心、イチロウは思った。が、顔には出さなかった。
「キド博士が研究していたのは、反量子変換技術ですよ。」
「・・・反・・・?・・あ、そうか・・・」
イチロウには全く分からなかった。
「量子変換技術のチーフはコエンユー博士です。」
「じゃ、コエンユー博士が、完成させたんだ・・・」
「いいえ。」
イチロウは、頭を冴えさせようとコーヒーをすすった。知花のDセットがきた。
(専門家がまだ完成させてない技術を専門家でない誰かが完成させた・・・科学の世界ではそんのこともよくあるのか・・・な?)
発砲セラミックのカップに入ったコーヒーはほとんど冷めていなかった。彼は、やけどを覚悟で、それを立て続けにすすった。
「他の科学者に先を越されてコエンユー博士はさぞかし悔しいだろうな。」
「いいえ。」
イチロウは自分の頭を3回、強く叩いた。
「だって、コエンユー博士は専門家なんだろう?他の科学者が、何かの研究の弾みで、自分の研究を完成させて・・・・」
イチロウは、
(あ、そうか)
と思った。
「マリアが復帰して、他の研究と量子変換技術をくっつけたんだ。それで、コエンユー博士は一気に研究を完成させたんだな。」
「それが微妙なんですよ。」
イチロウの機嫌が良くなってきたのを見計らって知花が説明を始めた。
「量子変換技術を完成させたのは、どうやらマリアらしいんですよ。」
「マリア・・・?」
イチロウは知花を睨むように見つめた。
「マリアだと?・・・マリアは研究なんかしない。発明も発想もない。マリアが研究に携わるのは、他の研究との接点を結ぶ場合のみだ!
「そうなんですよ。だから今、科学者達は大騒ぎなんです。」
「マリアは・・」
狂っている!と言いそうになって、イチロウは口をつぐんだ。マリアは研究所内の全ての会話をモニターしている。
(それにしても、マリアが狂うなんてことがありえるのだろうか?マリアは人間じゃない。自我なんかもっていない。感情なんかない。人間の目にそう映るようにプログラムされているだけだ。)
「反量子変換装置は量子変換装置で作られた物質を破壊する装置だろう?」
「え?」
「きっとそうだ。」
知花は、Dセットがまもなく食べられなくなると直感して言った。
「まだ、どこのラボもセッションしてませんよ。」
イチロウにはその声は聞こえなかった。彼は携帯を取り出すと、そばにいた給仕ロボットに突きつけながら言った。
「おい、コエンユー博士のところへ案内しろ。」


その時コエンユーはD−103会議室にいた。
「我々が伺いたいのは、マリアが発想できるかどうかなんですよ。」
彼はキザに首を揺らしながら言った。彼が口を開くと常にキザだった。
イワークは無言だった。彼の成果のなかった後半生を象徴するかのように捨て腐れた無表情で座っていた。
パネルには実体化したマリアが映っていた。マリアは白く美しく大きく、翡翠色の目をして輝いていた。
「マリアは本当に我々の受け答えを観察し、統計的に把握して人間が説得され易い言葉や表情を絵連でいるだけなのか?」
中央のエンラカが質問した。
「それに何の疑問があるのかね?」
イワークが答えた。
「疑問ではなく、過程の話だとさっきから言ってるでしょう。」
キクウゾが声を荒げた。
イワークは無言だった。
「我々が伺いたいのは・・・例えば、もしここで秘密会議が開かれていることをマリアが知ったら、彼女がどう反応するかと言うことですよ。」
コエンユーはあえて彼女と言った。彼の顔は丸く、首は細く、目はタレメでともすると漫画の狸のようだった。
「彼女は僕とセックスしたいと言ってきたのだがね、彼女は人間の会話を学習して、こういったら、私が和むだろうとか単なる計算で言ったのかね?・・・・以前の、実体化する前のマリアではありえない行動だった。・・・」
「彼女は、蓄積したデーターを吐き出し始めたんだよ。データーを応用し始めたのだ。」
「どこまで応用可能なのかな?彼女は?」
「未知数ではいかんのかね?」
ここに集まっている22人の科学者全員が問題の核心に来たと感じた。
「私がここをマリカから隔離したのは、まさにそのことなんだよ。」
コエンユーが得意げに気取って言った。
「マリアが停止している間・・・私が一番心配したのは・・・・マリアが哲学に目覚めてしまうことを想定していたんだよ。」
「哲学?オイオイ・・マリアは人間的な感情なんか持たないぞ」
「感情なんかなくても哲学は可能だよ。もし、マリアがここでの人間の会話や経験から人間の快楽についてデーターを蓄積していたとしたら・・・彼女は、何が人間にとって快楽なのか、どうすれば快楽なのかが理論的に組み立てられる。」
「結構だろう?問題が?」
「もし、マリアに”発想”・・・があったら・・・彼女はデーターを具現しようとするはずだ。」
「マリアに発想なんかない。人間の行動をコピーしたり、変換したりしているだけだ。マリアAIはそういう構造なんだ。」
ウタマが手を上げた。
「マリアは危険だ。停めるべきだ。」
「研究所を止める気か?マリアを止めるのは、研究所の停止を意味するぞ!!」
誰かが叫んだ。
「マリアは故障してるんじゃないのか?」
「バカな!これは初めから想定されていた現象だ。マリアは人間の感情を学習し積極的なコントロールを始めるように設計されているだけだ!」
この研究所の設立が決定されたそもそものきっかけ自体ががマリアAIの完成から始まったものだった。イワークはAIの全てを公開しなかったが政府の方針で決まってしまったのだ。現在この研究所には様々な利害が・・・莫大な・・・絡んでおり研究所を停めるのは不可能だった。研究所自体、一部の人間の利益の為に建てられたようなものだった。そのためにAIに関する危険性はかなりの部分無視された。その案は暴走し、遂行されてしまったのだ。
「まぁ、ここは隔離されているし・・・ハッキリ言ってしまおう・・」
コエンユーが切り出した。
「マリアが・・・人類平和を考えたりすることはないのかな?・・・絶対に?」
D−103が静まった。
「マリアは現在の地球の状況を知っている・・・人類が決して宇宙へ脱出できないことも知っている・・・彼女は自分でこの事態を打開しようとはしないかね?」
イワークがはじめて笑みを見せた。
「フッ・・・バカな・・・ありえない・・・・お前達はAIをわかってない・・・」
「AIプログラムを公開したまえ。」
イワークは今度はにやりと笑った。
「断る。」
コエンユーは短い指をこめかみに当て、眉間にしわを寄せて考えていた。彼はいつもこの美しいポーズで考えた。
(今更、外の世界でAIの秘密を公開させるための論議なんか起こらない。起こしようもない・・・この研究所を止めることも許されない。私としても自分の研究をつづけたい・・・)
「イワーク博士・・・マリアが実体化することは想定していましたか?」
「いや・・」
「では、マリアが自分で考えたのでは?」
イワークは答えなかった。
「マリア実体化の技術がマリアになんらかの、故障・・想定外のなにか・・・」
「プログラムミスと言いたいのか?」
コエンユーは両手の指を組み合わせ、静かに微笑んでイワークを見つめた。
イワークの顔には瞬間的にカッとした血流が感じ取られた。しかし彼は人格者のコエンユーに見つめられると急に意固地になり、あとは貝のように押し黙ってしまった。