第一部 壊れゆく世界
第三話
次の動作に移る前にイチロウは考えていた。
(このL型に、何か話しかけるべきか?)
L型が喋るとは、どういうことなのか?普通に考えれば、通信だった。誰かが向こう側で喋っているはずだった。その場合は紫ランプがついていなければならなかった。ランプがついないままで通信ができてしまったならば、それは故障のはずだった。こしょうロボットはあらゆる機能が停止すはずだった。
(じゃ、今の一言は何なんだ?)
イチロウが身動きもせず、疑問と得体の知れない恐怖に囚われている数秒の間に、ロボットは次の一言?を発することもなく足音の擬音を発しながら立ち去ってしまった。
知花がイチロウに話しかけようとするのをイチロウは目で制した。イチロウの鋭い直感は、この巨大な研究所に得体の知れない狂気が取り付いているのではないかと彼に暗示を与えた。
(今、喋ったのはマリア?)
マリアはロボットなどとは比べ物にならない、規模の大きなコンピューターだった。彼女はこの研究所のほとんど全てを管理している。そもそもこの研究所が設立された当初の企画自体がマリアの機能を前提としていた。マリアの一番の仕事は研究の秘密性の保守と、他研究との融合、融合の為の情報提供、研究の重複の回避だった。これらは人間が管理するよりも遥かに合理的だった。人間の欲望・・・人間関係、などが引き起こす諸々の弊害をマリアは全て一掃できた。これらの根底にあるのは、当然、”マリアは人間ではない”という安心感である。どんなに良くできていても、人間のようなコミニュケーション、受け答えができてもマリアもやはりコンピューターであり、それゆえに人間的な間違いはありえなかった。
だが、今の一言は?・・・事件のあった昨夜、いや、その2日前からマリアは機能停止しており、肝心の仮眠室のモニターさえ機能していなかった。どうして、イワーク博士が殺人を犯してないと言えるのか?今、喋ったのがマリアだったとすると、彼女は今、あてずっぽうを言ったことになる。それもあり得なかった。コンピューターはあくまでもデーターに基づいた”計算”しか行えず、”発想”という概念はなかった。
科学者ではないイチロウにも、このくらいのことは分かっていた。常識だった。
イチロウはすぐさま、誰かに何かを確認したかった。でないと
(マリアが狂っている。)
というあまりに馬鹿げた観念を持ち続けなくてはならなかった。と、同時に、それを知花に対して問うのにも戸惑いを感じた。いや、危険を感じた。
(マリアに監視されている。)
イチロウの動物的な勘が彼に警戒を与えていた。今までのマリアは、人間の行動に関して、ただ映像あるいは音声を記録しているだけだった。犯罪的要素がない限り、それを警察に自分から公開することはなかった。マリアが自分で裁定するなど、誰の頭にもほんの一刹那でさえも浮かびようもなかった。
ロボットが階段を下りていった。
イチロウはすぐさまダッシュしてイワーク博士のことろへ行きたい衝動に駆られた。イワーク博士はマリアの発明者・・・AIの発明者。今のロボットの一言に関してイチロウの疑問を問う最適の人物はイワーク博士だった。
イチロウは思いとどまった。もし、マリアがおかしくなっているのなら、それは、自分の問題ではなかった。誰かしかるべき科学者が気がつき、しかるべき対処をするだろう。
彼は情熱的な人間だった。高校時代にやっていたスポーツは3つあった。野球とサッカーとラグビーだった。彼は3つのチーム全てを全国優勝させたかった。掛け持ち部員にも関わらず全てのチームでキャプテンをしていた。彼は一旦熱くなると使命感を持ってトコトン突き進むタイプだった。
イチロウを今、イワーク博士のもとへ走らせなかったのは、漠然とした恐怖感だけだった。
次の日、イチロウは非番だった。
彼は研究所内にある町に出かけた。町と街の中間くらいの規模の街だった。イチロウは桜の花の咲く道を通ってその店に出かけた。重力反動波バリアで覆われたこの研究所からは太陽は明るい柔らかな黄緑色に見えた。人間の目には黄緑色に見えるこの街の太陽も植物にとっては外の世界のそれと何の変わりもなかった。所内に12箇所ある気圧調整装置が爽やかなそよ風さえ吹かせていた。
イチロウは目的の店についた。リサイクルショップだった。体育館ほどの広さの店内にありとあらゆる商品が綺麗に陳列されていた。
彼はかつてここで美波に出会ったのだった。研究所内のアンドロイドスーツ(無細菌無静電気スーツ・・は、体にピッタリとフィットしその大部分は透明で見た目に人をアンドロイドのようにさせていたのでそう呼ばれていた。)から開放され、彼女は万年休日娘のようだった。外の世界では官僚の娘に働くものはなく親の収入で遊んで暮らしているので彼女達はそう呼ばれていた。
美波は一人で服を選んでいた。イチロウは一瞬ためらった。彼にしてみれば、ここで彼女に声を掛けるのはすなわち彼女を抱くのに等しかった。彼には高校時代からの豊富な経験があった。彼は自分が性的魅力に溢れているのを知っていた。彼には女性を口説く必要などまったくなかった。
「あの女を口説く必要なんかない。・・・もう、口説けてる。」
イチロウは普段、女性と何気ない会話をしているだけでその女性が自分の性的魅力に参っているかどうか確実に把握できた。
「いいか、お前ら、身の回りの女に手ぇだすなんて、所詮モテない奴のすることだぞ。」
高校時代、所属していたそれぞれの運動部のマネージャーに手をつけて痛い目にあって以来、彼は決して学校や、仕事関係の女に手を出さなくなっていた。結局腐れ縁になって大事に至るのがオチだと考えていた。彼はまだ若く、結婚など考えただけでぞっとした。
その時、イチロウは脇へそれて何処かへ隠れてしまおうと考えたが生憎、陳列棚が並んでおり、どちらにも曲がりようがなく、まっすぐ美波の方へ進むしかなかった。彼はさり気なくサングラスを取り出した。彼女がイチロウに気がついた。
「あら、イチロウくん!」
イチロウはサングラスをかけた。極度に人相が悪くなった。
(そうだ、この女はキャリア・・・3年もすればオレとは別次元の超出世コースの軌道に乗る・・・考えてみれば安全パイじゃないか。この女がオレを捕まえようとするはずがないからな。)
イチロウはサングラス越しに意地悪そうに美波に笑いかけた。
それから、3日後、美波は、心臓発作で死んだ。死なれてみるとショックはとてつもなく大きかった。悲しみから逃れる為、彼はキド事件に集中した。
だが、こうして休日を迎えてみると再び美波のことで頭がいっぱいになった。
一度関係をもって彼は彼女が好きになったのかもしれなかった。
彼女を死なせてしまったのは自分だろうか?あの時、彼女の心臓の異常に気が好きながら行為をつづけてしまったのが原因だろうか?彼は、携帯で心臓麻痺について調べたいと思った。もし、マリアが復帰していなかったなら。マリアが復帰した今、それは危険な行為かもしれなかった。自分が美波の死の原因を作った事実?・・・が、マリアにばれる恐れがある。マリアの質問攻めには会いたくなかった。マリアは人間的感情を持たない上に、脳波を検知しながらマトをついた質問をビシビシ浴びせかけてくるのだった。イチロウは職業柄それをいやと言うほど知っていた。
彼は考えていた。
(心臓麻痺とは、突然発症して、こんな風にあっという間に死んでしまうのだろうか?)
もっと前から、兆候があってしかるべきものではないだろうか?人口心臓なり、パルス発生装置なり移植手術は極めて簡単確実だと言うではないか。彼女の死は何かおかしいのではないか?もっと考えれば、自分は誰かに嵌められたのではないか?あの日、マリアが止まっていたおかげで捕まらずにいられるだけで、でなかったら○○○○の殺人(死ぬ可能性があったのに好意を続けたことによる過失致死よりも重い嫌疑がかかる行為。作者はそれが思い出せない。)で、取調べを受けていたのではないか。それは彼の思い過ごしかもしれなかったし、良心の呵責から逃れたかっただけかもしれなかった。彼にはわからなかった。
(オレが嵌められた・・・すなわち、彼女は殺された。)
彼はこの考えをもう少し進めたかった。
(あの時、彼女は、何か仄めかしはしなかったか?例えば・・・ヤバイ事件に首を突っ込んでいるとか巻き込まれているとか・・・あの日、マリアは止まっていた・・・喋っても・・・いや、危なすぎる話だったら用心して絶対なんの仄めかしもしなかったはずだ。)
彼は結論した。この研究所での会話はすべてマリアに記録されている。こうして非番の日でさえ、研究所の外の所内公園や町でさえ、いたるところにマイクはあり、カメラはありもちろん宇宙衛星からも捉えられており、更に所内で発売されている全ての衣服には繊維マイク機能が組み込まれていた。この研究所の秘密は絶対に外の世界には漏れないし、研究の秘密内容は人間は他の研究者に話してはならず研究間の相互接続はすべてマリアに委ねられていた。
外の世界へ出る者は1年間研究に従事してはならず、この街で、研究に関係ない仕事をする決まりだった。外の世界への研究の公表が1年のタイムラグを持たせられていたためのシステムだった。だから、この研究所は壁に囲まれているのであり、バリアに覆われているのだった。
(調べようがない。)
イチロウは頭を切り替えようとした。変な疑惑で頭をいっぱいにするよりも、死んだ女のことを考えてやりたい気持ちだった。
(オレが死なせたんじゃないし、誰かに殺されたのでもない。ただの事故なんだ。)
そう考えないと辛すぎた。
彼は彼女の人柄を思い出し、キャリアにしてはいいコだった・・と思った。彼女のことが薄れるまで、それだけ思い続けようと努力した。
イチロウはリサイクルショップへつくとサッサと、その靴を取り出した。店員はイチロウとその靴を記憶していた。
「ご返品ですか?」
中年の女子店員は愛想が良かった。
「ああ。」
イチロウはそっけなく答えた。
「履いてごらんになりましたか?」
「気に入っていた。他の理由ができて返すことにした。」
「そうですか・・お客さんにお似合いだったんですが・・・」
(こんな派手な靴が似合うのはイチロウ君ぐらいよ。)
と、美波も言っていた。トカゲの皮風のギラギラした靴だった。高くて物の良い品だった。イチロウの趣味の靴だった。靴好きのイチロウは美波と店員からおだてられたこともあってすぐ買った。今日はイチロウが一人で美波がいないことや、イチロウの雰囲気から察しがついてか店員はそれ以上何も言わなかった。悲しい思い出のある品物を売りにくる客は少なくなかった。
イチロウは店員の差し出すデジタルサインシートにサインを書き込んだ。サインシートがサインのフォームと筆圧、サインのスピードなどを読み取って”OK”を示す青の文字と”チリン”と快い鈴の擬音を発した。イチロウは携帯で支払い金額を確認しながら、ふとあることに気がついた。
イチロウは顔を上げてその方を見た。
「おや・・・オウムがいない。」
店員は戸惑った表情を見せた。
「売れたのか?」
「はい。」
「いつ?」
「ええ・と・・・3日前ですかね。」
「よく売れたなぁ・・あんなものが・・・」
それは生きた本物の○○オウムだった。頭の先から尾の先までが60センチほどもあった。いつもシートの”チリン”にあわせて”チリン”と器用な擬音を発していた。オウムはかつて美波が売ったものだった。
「16万ドルじゃなかったっけ?あれ。値引きしたのか?」
「いえ、16万ドルで売れました。」
「じゃ、買ったのは、今年出所予定のキャリアだな。」
店員はあいまいな顔をして微笑んでいた。
オウムは”ダン”という名前だった。美波が外の世界で買ったものだった。わがままを言って、所内へ一緒に連れてきたのだが世話が見切れなくなって売ったものだった。オウムと言えども一応言葉や音を記憶するので一年間は外の世界は出せなかった。美波は、よくこの店に来てオウムに話しかけたり、言葉を教えさせたりしていた。
「誰が買っていったんだ?」
店員は返事の変わりににっこりと笑った。それがイチロウにはカチンときた。イチロウは携帯を取り出し、自分が警察であることを示した。オウムが、何か、美波の死に関するヒントを秘めている可も知れないという考えが馬鹿げたものではあるとわかったいた。しかし、もし、美波を殺害した人間がいるとしたら、かすかな証拠も残すまいとするのではないだろうか?
イチロウは店員を睨みつけつつ、再び携帯を取り出した。店員がフィルムボードをタッチすると彼の携帯にオウムを買っていった人物のデーターが送られてきた。
「なんだと?」
美波だと思ったのは一瞬だけだった。彼は唸った。携帯のディスプレイに美波ソックリの顔が映し出されていた。
「双子だったのか・・!」
岩崎美峰(イワサキミホ)・・・美波の双子の姉妹だった。
美峰は現在、東輪ブロックのN公園にいた。
「ちょうど向こう側だな・・・」
この研究所は綺麗な円形をしていた。中央に研究所があり、その周りが工場、一番外側が街だった。工場では当然、デバイスが量産されているわけではなく研究の為の実験機などが製作されるに過ぎなかった。工場の外は壁で、その外にはバリアがあった。
イチロウのいる西輪ブロックから東輪ブロックへ行くには研究所の外回りを巡って行かなくてはならなかった。15キロメートルあった。
イチロウは携帯を取り出すとバイクを呼んだ。
のどかな春風が吹いていた。黄緑色の太陽がまぶしくイチロウはサングラスをかけた。
美波が死んだり、キド博士が死んだりしなければ最高に開放的な日のはずだった。
「チッ・・・」
非番なので、事件を追う義務はなかった。
イチロウは自分の性格に舌打ちをした。
やがて、彼の真っ赤なバイクが自走してきた。
美峰は子連れだった。4歳の女の子と公園で遊んでいた。犬もいた。
イチロウは本能的にハズバンドを探した。それらしき人物はいなかった。二人と犬は幸せそうに遊んでいた。偶然イチロウのほうに女の子が遊んでいたボールが転がってきた。女の子が追いかけてきた。イチロウは足でボールをグッと押さえた。母親はガラの悪い彼のサングラスに不安を覚えた。イチロウは女の子に向かってニッと笑った。女の子はジッとイチロウを見た。気圧調整期が作り出す薄い雲が黄緑色の太陽をわずかに遮った。女の子にはサングラスが透けてイチロウの目が見えた。彼は女の子が好きだった。彼の目は笑っていた。突然女の子が叫んだ。
「あっ!・・・・このおじさんカッコイイ!!」
イチロウはニイイッと笑った。彼は褒められると俄然調子に乗る性格だった。彼は巧みな脚裁きでリフティングをして見せ、女の子をはしゃがせた。
1時間後、彼は女の子と美峰をバイクに乗せていた。自分が警察だと名乗っただけでオウムのことも心臓麻痺のことも聞いてなかった。美穂はキャリアではなく下っ端のアシスタント研究者だった。彼女は、水泳家を志望していた時期があり受験勉強などはほどんどしなかったと言った。同じノンキャリア同じスポーツ系でイチロウは親近感を覚えた。それにイチロウは水泳も得意だった。素潜りで水深70メートルまで行けた。
「姉とは性格が全然違うんだな。」
「同じなのよ。」
「いや、全然違う。美波さんはいかにもキャリアウーマンって感じで鋭くて気位が高かった。」
「ねぇさんは無理してたのよ。これが地の私だわ。ハハハッ・・・」
4日前に双子の姉が死んだのに彼女は非常に明るかった。何かから開放されたかのようだった。彼女と話していると楽しかった。
水泳で鍛えられた彼女の体は姉よりも遥かに美しく柔らかかった。イチロウは背中に彼女の胸の突起を感じながら、今夜、彼女を抱いたら、彼女の心臓はどうなるだろうかと思った。
○○を調べること
○○を調べること