黒い稲妻

第一部  壊れゆく世界

第二話


イチロウは黄緑色の照明に照らされた通路をイワークのラボへと向かいながら、あのドアのロックを外からかける方法はないかと考えていた。ロックはノブの内側のつまみを半回転させるだけの簡単なものだった。研究室と違い、単に睡眠を邪魔されないためのロックだから、そのような簡単な方式で十分だったのだろう。
「あの、ドアは外からでは絶対にロックできませんよ。」
「ワイヤートリックを考えていたんだが・・・」
「それだと接着剤が裏目に出ます。ワイヤーを引っ張ったあとが、ほんのチョットでも、あの固まった接着剤に残っていたでしょうか?」
「見なかった。見たか?」
「見てません。」
知花は笑った。彼女はいつも大きく笑った。
「見てこい。」
知花は嫌だった。彼はこんなとき上手に冗談めかして物をいう素質が備わっていた。
「いや、絶対ないっすよ!」
知花の笑顔は、イチロウの心を少し和ませた。
「ロックつまみのところにテグスの様なものをわっかにして引っ掛けておき、こう引っ張ると・・・」
イチロウは常にジェスチャーが大きかった。
「わっかが接着剤のところで接着剤をビヨーンとこう引っ張りこむようにして・・・」
「じゃ、一緒に見に行きましょう。」
「面倒くさい。お前だけ行って見てこい。」
知花は一人で引き返すのを嫌がったが、なんだかんだ言ってイチロウは結局、知花一人を引き返させた。
ちょうど、50メートルほど先のドアから、ロボットが一体出てきた。
イチロウの鋭い視力はドアのプレートの ”IWARK” の文字を読み取った。
ロボットは足音の擬音をスピーカーから響かせながらイチロウの方へと歩いてきた。

近頃ではロボットはあまり人間には似せていなかった。人間に似すぎていると犯罪とか諸々の問題が生じるからだった。それでなくても、気持ち悪いから規制してほしいとの声は多かった。ロボットは20世紀から作られはじめ、そのころの型を後にA型と呼ぶようになった。D型から人間そっくりになり、より人間に近づける努力がなされたが今、述べたような理由でK型からは明らかにロボットと分かるスタイルにされ、24世紀のこのころでは、動物で言うところの先祖がえりをして21世紀初頭に作られた型にだいたい統一されていた。
「お前はイワーク博士のロボットか?」
「はい、そうです。」
ロボットは機械的な”声”を発した。声についても、皮膚や動作やそのほかの形態と同様、技術的にはいくらでも人間らしく聞かせるのは可能であったがあえて、ロボットらしい冷たさを持ったイントネーションになっていた。
「お前は夕べ11時から12時の間にキド博士のドアの前まで行ったか?」
「いいえ。」
無駄な質問だった。専属ロボットは従事者の都合によって嘘をつくオプションを持っていた。
「お前は最近接着剤を扱ったか?」
「最近とはいつのことでしょうか?」
「昨日からだ。」
「昨日からは接着剤を扱っていません。」
(オレの頭では、こいつに質問をしてイワークの尻尾を捕まえるのは無理そうだ。)
イチロウは思った。
(しかし、オレだってバカじゃない。)
「・・・・・・」
質問が浮かんでこなかった。
ロボットの胸のランプがバカにしたように水色をしていた。これは、従事者と目の前にいる人物との力関係を表していた。ロボットはもちろんイチロウを警察だと把握していた。警察は最低位なのだ。
(このくそロボがーッ!!そのランプを今すぐ黄色に変えてやる。)
「これから、イワーク博士に職務質問をする!」
ロボットの胸ランプが最高位である黄色に変わった。
「どうぞ、ご案内します。」
ロボットは回れ右をすると、今、出てきたラボのほうへと歩き出した。
(大した要ではなかったらしいな。)
「おい。」
「はい。」
「マリアが止まってている今、お前らは他のロボットと交信ができるのか?」
「可能です。」
「ロボットのコンピューターはマリアから独立しているのか?」
「はい、そうです。」
「夕べ11時半から12時の間にキド博士のラボの仮眠室へ入った人物とロボットの一覧を見せろ。」
イチロウは内ポケットから携帯を取り出した。携帯の画面に一覧表が既に現れていた。
しかし、文字は浮かび上がってこなかった。
「早くしろ。」
「既に完了しています。」
その時間に仮眠室へ入った人物またはロボットをモニターしていたロボットは一体もない・・・ということだった。それは当たり前だった。情報があれば既に報告を受けているはずだった。
ふと、とある考えが浮かんで、イチロウは足を止めた。
「知花を出せ。」
知花はドアの接着剤を調べていた。接着剤はほとんどまっすぐにドアの縁に沿って伸びており、どこにも、なにかが接着剤の帯の中を通り抜けたようなあとはなかった。知花は更にロックバーも丹念に調べた。それは2センチほどの長さでどこにも傷や接着剤のあとなどはなかった。誰かが優しく肩を叩いた。振り返るとロボットだった。ロボットの胸のランプが、更新中を示す、紫色に光っていた。
「イチロウ刑事からコールです。
「はい、唐です。」
知花は、映像を出すようにロボットに指示した。イチロウが大きなジェスチャーで話し出した。
「キド博士の専属ロボットから、目撃・・・モニター情報を聞き出せ。」
「あ、はい。あ、でも、調査班が聞いてるんじゃないですかねぇ?既に。」
「確認してくれ。」
「他のロボットのモニターはどうだったでしょうか?」
「情報はゼロだった。」
「じゃ、キド博士のもないですよ。」
「他のロボットはイワーク博士の意向でオプションPかもしれん・・・」
「じゃ、キド博士のもそうじゃないですか?きっと。」
「キド博士とイワーク博士が犬猿の仲だったてこともありえる。」
知花は一瞬、黙った。
「・・・な〜るほど・・・イチロウさん・・・」
「なんだ?」
「冴えてますね。」
知花につられて、イチロウもニッと笑い、いつもの上ずったトーンで言った。
「クビがかかってれば嫌でも冴えるぜ。」


イチロウはイワーク博士のラボの前に立った。
そこは、キド博士のラボのちょうど真上に当たった。イチロウはチョットの間、知花が来るのを待とうかとも思った。やはり、頭のいい彼は頼もしかった。
イワーク博士のラボは暗かった。気がついたとき、イチロウは既にイワークのラボに入っていた。彼は、せっかちで体が勝手に動くタイプだった。
イチロウは、部屋の奥を見ようと目を凝らした。何も見えなかった。ラボは周りを全て黒い布のようなもので覆ってあった。手前のほうの発光フィルムは自然な光を発し、室内を適度に照らしていたにも関わらず、奥のほうは真っ暗で何も見えなかった。歪空間技術を使って光を閉じ込めてあるのだった。科学知識に乏しいイチロウには理解不能だった。
(ま、見られたくないらしい。)
博士は、ヘッドホンをつけ、3メートルくらいの物々しい装置に向かって、なにやら瞑想するかのごとく、目を閉じて、非常に集中している様子だった。ラボには他に人影はなかった。
ロボットからの信号で、博士は不意を疲れて仰天し、大きく体をそらせた。ヘッドフォンのコードが抜け、スピーカーから、大音量が流れ出た。イワークは、慌てる様子もなく落ち着いてSWをオフにした。
一瞬ではあったが、それは女のエクスタシーの喘ぎの声だった。イチロウの鋭い聴覚はその声が美波の声に似ていることを捕らえた。イチロウの脳裏に、イワークが犯したと言う人体実験の話がよぎった。それは性犯罪行為であるという噂があった。(美波が、あの事件の被害者??)
イワーク博士がイチロウを見た。イチロウは直感的に相手の性格を読み取った。
(カタブツ・・・)
イチロウはもう少しで「一体、あんたは何の研究をしているんだ?」と、問いそうになったが、こらえた。事件には関係ない話だ。
「何の研究をしているんだ?・・と言いたそうですね。」
「いいえ。昨夜のキド博士の死亡の件で伺いました。」
「ああ、残念なことをした・・・彼は私の研究の良い理解者だったのだが・・」
本当に残念そうだった。
「キド博士とあなたは良く話とかしていたんですか?個人的に。」
「そう・・・私と彼とは遠い親戚なんだよ。
「そうなんですか?」
「私の評判が、はっきり言ってすこぶる悪いんでね。・・・秘密にしてあったんだよ。今となっては意味もない。調べてみてくれればすぐ分かるだろう。」
相手の風貌や”変態である”と言う噂とは全く異なったやわらかいものの言い方だった。
(こいつ、タヌキだぜ。)
と、彼は決め付けた。
「では、さっそくですが、本題に入らせていただきます。」
イチロウは警察用マルチビジュアルグラスを装着した。
「あなたはキド博士を殺しましたか?」
「いや。」
マルチグラスに様々な情報が映し出された。イワーク博士が嘘をついていると確信できそうなデーターはなかった。
(チィー・・・)
イチロウは舌打ちした。意表をついた質問で勝負をかけようと思ったのだった。かわされてしまった。
「キド博士は何のために七輪を借りに来たと言ってましたか?」
「タイタンドジョウを焼きたいと言っていた。」
「なんだとーっ!」
思わず、甲高い声で言ってしまった。マルチグラスに自分の精神状態を表すデータが乱れ飛んだ。
「タイタンドジョウを食うためにわざわざタイタンからドジョウを輸入してるだと!!」
イチロウのステータスからは考えられない無駄だった。
「研究なんだよ。私は、恍惚感の研究をしているのだよ。私の研究では、恍惚感は一種のエネルギーなんだよ。もちろん、人間の感情は脳内ではすべて電気でやり取りされるので全ての感情はエネルギーであるわけなんだが、感情によっては電気以外のエネルギーが含まれているものもあるんだよ。」
イチロウは興味を引かれた。
「今、この巨大な研究所で一番トレンディーな研究題材がなんだか知っているかね?」
イチロウでもそれくらいは知っていた。
「そう、時間だよ。私は恍惚感と脳内時間の研究をしているんだよ。」
「楽しいことをしていると、時間が短く感じるって・・あれですか?」
イワークは笑い出した。よほどおかしかったらしい。いつまでも笑っていた。マルチグラスはイワークがイチロウに対して抱いていている感情を図式データーで表現した。イチロウは苛立ってグラスを外した。
「タイタンドジョウは私が食してエネルギーを検出する為のもだったんだがね。キド博士に旨いと話したら、是非自分も食いたいと言って七厘を持っていったんだよ。」
「何で七輪なんだ?」
「食した時の恍惚感を高める為だよ。」
イチロウは食い物にはうるさかった。イチロウが七輪を知っていたのは、その為だった。七厘で天然木から作った炭で物を焼いて食うと、何とか言う特殊な電磁波によって食い物が旨くなる・・・そんなネタを何かで読んで知っていた。イチロウには予算的に実現不可能だった。
(こいつは、研究者じゃなくて、単なる道楽者じゃないのか?)
彼は気を取り直して次の質問をした。
「七輪を運んだのはキド博士自身ですか?」
「そうだ。」
「ロボットを使わなかったのですか?」
「そう。」
「重いでしょう。汚れるし。」
「そんなに重くない。包んだし。」
「私物を持ち込むのは禁じられています。」
「マリアが止まっていたからね。みんなそれなりに羽根を伸ばしたんじゃなかったかな。」
「あなたは、マリアの設計者だそうですね。」
「20年前の話だがね。」
「マリアが止まると予測していたのですか?」
「その通り。」
「なぜですか?」
「君に話しても分からんよ。それにAIの研究は私だけのものだ。話すつもりもない。」
イチロウは再びマルチグラスを装着した。
「マリアが止まる時期までは、予測できていたのでしょうか?」
「だいたいは。」
「だいたいと言うと?」
「まぁ、半月ほど前から。・・・そろそろ止まるかな・・・と。」
「それを誰かに話しましたか?」
「もちろん。でなければ今頃パニックだよ。」
(つまり、マリアが止まるのを待ち構えてキド博士を殺すのは誰でもできたわけだ。)
「どうして、マリアが止まると分かっていたのに、モニターは作動されていなかったのでしょうか?」
「この研究所の組織的なシステムがマリアに頼りっきりで硬直していたせいだろう。私の知ったことではないな。」
「ロープを貸したのもあなたですか?」
「そうだ。」
「ロープは何のために、このラボにあったのですか?」
「恍惚エネルギーの研究の為だ。」
イチロウは先日観たビデオを思い出した。
「ビデオとかで観た経験はないかね?女性は拘束されるとより強いエネルギーを放出するのだよ。」
イチロウは次の質問を考えようとした。
「脳のどの部分をどう刺激すれば、恍惚エネルギーが放出されるのかは既に研究済みなんだがね。ピンポイントで、脳の一部分に刺激を与えるのと、肉体に刺激を与えて恍惚に至らしめるのとではエネルギーの種類が違うのだよ。君に話しても分からんがね。」
「博士はロープを何に使うと言っていましたか?」
「それは特に訊かなかった。貸せと言われたので貸した。」
「七輪とロープと同時にですか?」
「そうだ。」
「おかしなものを借りるとは思いませんでしたか?」
「私の親戚なんでね。それに科学者なんてみんなおかしなもんだよ。」
「キド博士の様子はどうでしたか?思いつめてるとか・・?」
「なかったと思うがね。人の顔なんてあんまり見ないほうなんだよ。私は。ラボの連中からの情報のほうが意味があるだろう?」
「夕べ、11時から12時の間、何をしていましたか?」
「・・・寝ていた。・・・」
「仮眠室でですか?町でですか?」
「そこの・・・」
イワーク博士は暗い・・・何も見えない部屋の奥のほうを指差した。
「仮眠室で。」
「誰か、それを知っていすか?」
「いや。」
「ロボットは?」
「実験をさせていた。」
「つまり・・・」
「私にはアリバイがないということだ。だが、そんな調査に意味があるのかね。博士は自殺だろう?」

結局何も分からなかった。イチロウはラボを出た。外では、知花が待っていた。
「何だお前。何で入ってこなかったんだ?」
「だってイワーク博士ですよ。変質的で有名な。」
「お前、仕事だぞ。」
「いや、今ついたところなんですよ。」
知花は笑った。イチロウは怒れなくなった。
二人は一旦署へ戻ろうと3階の高送通路へ向かった。
「博士に、自殺の原因はなかったか徹底的に調べてくれ。」
「それは、さっき報告を受けました。」
「どうだった?」
「全くないですね。と言うか、量子変換装置はほとんど博士だけの研究だったので、博士が行きずまっていたかどうかは誰にも把握できていません。ただ・・博士の意気は揚々でスタッフは彼の研究はうまくいっていたはずだと口をそろえています。」
「うーむ・・私生活はどうだ?」
「博士に私生活はありません。」
「外は?」
「外の世界とは、全く連絡を取っていません。」
「ふーむ・・・」
イチロウは考え込んだ。
「お前、これ、自殺だと思うか?」
知花の携帯が鳴った。
二人は立ち止まった。向こうからロボットが歩いてきた。イチロウは何となくロボットを見ていた。L型だった。L型は三ヶ月前にイチロウが専属ロボットをして採用申請した型だった。にべもなく却下された。イチロウのステータスでは、もともと無理がある申請だった。イチロウは思ったものだった。
(はん、ロボットなんて、やっぱりオレには要らない。オレには人並みはずれた肉体がある。どうせ暇だし。L型だろうと何だろうとロボットが話し相手になるわけじゃない。)
ロボットは一応AIとは呼ばれていたが実際には”人間らしさ”など、持っているわけではなかった。ただ、人間に不快を与えないように様々なプログラムが織り込まれているだけだ。それも、人間に似ないように考慮されながら。だから、ロボットとの会話ほどつまらない物はなかった。それは外の世界のロボットも同じだった。
「イチロウさん・・・ラボのスタッフには全員にアリバイがあります。全員で量子変換装置の実験をしていたそうです。」
イチロウは、ロボットから知花に目を移した。
「それは、キド博士だけの・・・」
「それが、キド博士だけのその研究は、量子変換装置でなく、反量子変換装置だそうです。」
「・・・そうか。」
イチロウは携帯を取り出すと、キドラボの見取り図を表示させた。
ラボの入り口から入ると左側が研究室で、ドアが三つあるが、昨夜11時から12時まではずっと内側から施錠されていた。誰も開けてない。右側は壁でまっすぐ奥が仮眠室。
「イチロウさん・・」
「なんだ?」
「まだ、一つ大事な情報が・・・キド博士のしたいから、睡眠薬が検出されたそうです。」
「睡眠薬?」
「はい。」
「すると?・・・ええ・・と?・・・博士は睡眠薬を飲んで一酸化炭素中毒自殺しかけたが、気が変わって首吊り自殺した。・・・しかも、ロープはあらかじめ用意してあった。」
「変ですね。」
「絶対変だぞ!!」
イチロウは携帯を見つめた。
「仮眠室へは誰でも行けたな。」
「イチロウさん、脅かしてすいませんでした・・・クビだなんて・・でも、これは、もしかしたら、厄介な事件ですよ。」
(くそう、えらい事件が起こってくれたものだ。)
イチロウは歯軋りした。
「殺人事件なら、どう考えても犯人はイワークだ!しかし、トリックが・・・」
その時、突然声がした。
「イワーク博士は犯人じゃないわよ。」
二人はぎょっとした。周りには誰もいなかった。そこにはL型ロボットがいた。
胸のランプは紫色には光っていなかった。ロボットが、例えどんなに小さな故障でも、故障しながら動いていることはありえなかった。
「キド博士は自殺したのよ。」
ロボットが言った。胸のランプは紫色に光らなかった。
イチロウは驚愕し、身動き一つできなかった。