第一部 壊れゆく世界
第一話
美波の体が痙攣した。
彼女は決して「イク」とは言わなかった。
「それは口で言わないだけだな。美波。イッてるじゃん。」
制服姿がこよなくセクシーでみんなの憧れの的で、いつもは彼自身も”岩崎さん”と呼んでいる上官でありキャリアの道を突き進んでいるいずれ彼とは別レベルの存在になる美波を心の中で”美波”と呼びながら犯す快感を味わいながらイチロウは、脳と体は接続することも切断することも容易に可能だと、あらためて実感していた。彼の人並みはずれて逞しい肉体はその隅々にまで逞しさをいきわたらせており太く強いそれは、芯は鋼鉄の如く硬く、周りは適度な柔らか味をもって美波の体を貫き続けていた。美波の体は快感が高まれば高まるほど強く締め付ける癖を持っていた。イチロウは自分でなければとっくに終わっていただろうと先ほどからいつも自分に設定する高いハードルを越えつつあるのを感じた。彼の人並みはずれた集中力は能と体を完全に遮断していた。彼は先ほどから1時間以上も南の体を貫き続けながら何の快感も感じていなかった。肉体的には。
彼は、美波を犯しているわけではなかったが、美波の側からすれば、それは犯されているに限りなく近かった。美波はエクスタシーにほとんど慣れていなかった。
今また、激しく逃れようとする美波の肩を上から強引に抑えつつイチロウは昨日見たビデオのようにできないのが残念だった。
昨日見たビデオ・・・では、女は監督権男優である男に麻縄でしっかりと縛られていた。イチロウはそういった類のビデオを見たのは初めてだった。始めてみて非常に興奮した。昨日まで、イチロウは美波の体を想像しているだけだった。一ヶ月前辺りから、いつでも二人きりになる機会さえあればモノにできる状態だった。一郎はビデオを見ながら女優と美波のイメージを重ねた。
縄は、そこにあった。買おうと思えば3メートル先の透明金属のケースの中に。彼はそれをつかみ出しさえすればよい。後はコンピューターが勝手に・・・とそこまで考えて、彼は思考を他へ移した。
・・・今、難しいことは考えたくないし・・・
「ウウッ・・美波を縛ってイカしまくりたい・・・」
しかし・・・と彼は考えていた。しかし、美波を縛ってヤッている最中に、もし自分が心臓麻痺で死んでしまったらどうなるだろう?
それはナンセンスな考えか?心臓麻痺なんて確率的に・・・体が資本のオレが。
どうも、自分は今日は妙なことを考えていると思ったとき彼は自分の発想にとある源があるのにハッとした。
「心臓麻痺が心配なのはオレじゃない!美波だ。」
激しく乱れる段階を過ぎて美波の喉からはは唸るとも喘ぐとも聞き取りがたい声がさまよいでているかのようだった。イチロウは女の反応を自らの脳内に木霊させながら、いつもと違う動悸のようなもの感じていた。彼はそれを受けて自分の空想を広げていたのだ。
「美波が鼓動がおかしい。」
一旦気がつくとイチロウの本能的直感はそれを確信した。
女が何度も達すれば鼓動が激しくなるのは当たり前だ。美波のそれは単なる激しい鼓動ではなかった。
イチロウは念のため、彼女の心臓に耳を当ててみた。
「ドクッドドドッドクドクッ・・・ドドドド・・・」
「普通じゃない。」
しかし、彼は動きを止めなかった。25歳の彼の体は理性を上回る欲望にみなぎっていた。その点、彼の肉体と頭脳は分離できていなかった。
「俺は訓練を受けている・・・美波が発作を起こして心臓が止まっても蘇生できる。」
美波が上手く蘇生されなかった場合にどんな面倒な事態が訪れるか・・・彼の頭にそんなマイナスな発想は全く浮かびも気付きもしなかった。
「それに、今はマリアが・・・・フフ・・大抵なんでも言い訳はつくさ。」
「七厘!?・・・・七厘だと?この24世紀の世の中に!!ふざけるな!!」
イチロウは思わず上ずった声を発した。彼の癖だった。元来カッコつけ野郎の方の彼だが意外とかっこ悪い行動も多かった。彼はこだわることには妙にこだわり、こだわらないことには全く無関心なタチだった。
「あれ、イチロウさん七厘ってなんだかご存知なんですか?」
「七厘ってのはな、昔の人が食べ物を似たりした・・・炭火焼のヒーターだ。」
「いやぁ、まさかイチロウさんが七厘を知ってるとは・・・この部屋の科学者は誰も知りませんでしたよ。」
キャリアコースで、今のところイチロウの部下の倉裸知花(クララ トモカ)は、正直に感想を述べた。知花は大学時代、ミスユニバースで準優勝していた。中の世界でも、そのことは有名だった。みんなが彼女を見る目は、特に男性は特別だった。イチロウも始めて彼女を見た時「すごい!」と思った。が、彼のいつもの手として極めてそっけなく、まるで、男を扱うかのように接した。そうしていると、しかし、彼女には逆にやりやすいようだった。顔やスタイルが美しいのに似合わず、彼女は良く食べ豪快に笑う性だった。
「バカにしてんのか?」
「とんでもない。」
イチロウは威圧的な輝きを放つセラミックロープをくぐった。そこから先は仮眠室だった。
「ちなみに、ここは何の研究室だ?また秘密のか?」
この研究所の多くは機密事項だった。
「いえ、オープンです。もちろん、ある程度ですが。」
研究員が何人か珍しそうにイチロウを見ていた。
「暇そうじゃないか。」
「はい。キド博士は量子変換装置の研究者で、秘密主義者でした。彼は、肝心な部分はほとんどひとりで研究しており、研究員達は科学者なら誰でもできるようなデーター確保的な仕事し貸していません。ご覧の通り、研究員の数も少ないでしょう。」
「量子変換装置って何だ?」
「詳しいことは分かりません。量子エネルギーを分解して時間エネルギー変換することで、物質そのものを生み出す装置です。20世紀に存在していた量子変換とはまったく別のものです。」
「なるほど。」
もちろん何も分からなかった。イチロウは仮眠室へ向かった。
この、都市型巨大研究所の一隅のほんの一隅だった。
「刑事、こちらです。」
知花の更に部下がイチロウを奥に案内する。
仮眠室と言っても、ここに個室になっており、外の世界なら当然の如く2人で居住している広さがあった。その一室のドアが開けっ放しになっており、セラミックロープが張ってあった。警察の痕跡調査部員が何人か、もうほとんど仕事を終え、ややリラックスした様子で働いていた。
「ここか。」
イチロウはしっかりと言葉を発し、一縷の不安もなさそうに部屋へ踏み込んだ。
垂れ下がっているロープを見つめ
「ウーム・・・」
と言ってみた。
イチロウは、何を考えていいのかさえ分からなかった。
・・・このロープでキド博士が首をくくった。もちろん死んだ。それで?
イチロウは、ただ、心を見透かされないように難しい顔をしながら室内を見回していた。
「モニターは?」
「作動していません。」
「マリアじゃなくても、モニターぐらい動かせただろう。」
「すいません・・・まさかこんな・・・
「コンピューターに頼りすぎなんだよ。」
文句を言いながら、コンピューターに一番頼りたかったのはイチロウだった。
(こんなのは、モニターさえ動いていれば、事件でもなんでもない。・・・っていうか、自殺なんか不可能だ。自殺?・・・それを調べるのが俺の仕事だった。)
刑事とは言っても、この研究所内に関しては”犯人探し”などと言う行為は全く無用だった。全てがモニターされており、イチロウ達、所内警察の仕事はもっぱら事情聴取だった。だからこそ、ろくに経験のないイチロウでも刑事が務まったのだ。
「マリアは何で止まってるんだったっけ?」
「もちろん分かりません。」
「何で、サブコンピューターを動かさないんだ?」
「イワーク鉄則の一部だからです。」
「・・・て、事は、イワークは、いつかマリアが突然止まるかもしれないと知ってたわけか?」
「そうなんですよ!科学者達はこの、”マリアが停止した場合24時間の放置”鉄則をいままで現実にはありえない・・・何か冗談めいた鉄則だと考えていたようですが・・・実際に起こるとは・・!・・30年後に。」
「ウーム」
「イチロウさん、今日は冴えてますね。」
「フンッ・・」
(オレはバカじゃない。)と彼は言いたかった。言うと余計にバカに見えそうだから言わなかった。
(オレはジュニアαのとき、あとでAコースへ進んだヤツに将棋でいつも勝っていた。オレの学歴が低いのはスポーツに打ち込みすぎたせいだ。)
彼は、過去に一度、知花にそれを言ったことがあった。頭の良いAクラス出身の彼がそれを忘れるわけがない。
「まぁ、これはどう見ても自殺だな。」
「え?イチロウさん、そんなこと言っていいんですか?」
「なんで?」
「マリアが止まっている今、人間の責任は無限大ですよ。」
「なんだと?」
「もし、間違った判断をしたとすれば、あとで必ず責任問題になります。」
「責任・・・」
ピンと来ない言葉だった。コンピューターにほとんどすべて管理を任せきってきたイチロウの職種では責任などと言う言葉はないに等しかった。だからこそ、彼はこの仕事を選んだのだ。彼にはプロスポーツ選手としての未来がないでもなかった。
「まさか、クビにはならんだろう?」
「ありえますよ。非常事態かですから。」
イチロウはこわばった。クビ?せっかくプロスポーツ選手へのミチを諦めて永久に安定していそうなこの仕事を選んだのに。クビになったら腐った外の世界で、いったいどうやって生きていけばいいのだろうか?
「エライ時に自殺してくれたものですね。」
イチロウが、冷ややかに知花を見た。知花は笑うときと、事務的な話をするときとで極端に雰囲気が変わった。普段はしゃきしゃきと物を言った。半年間に渡る初期教育で、ノンキャリアとは事務的に話すように訓練されていた。彼女は準ミスユニバースだけあって姿勢がよく、身長はイチロウとほとんどかわらなかった。
「いや、どう見ても自殺ですよね?イチロウさん?」
「お前、この仕事の責任者がオレだからって、オレがミスったらお前だって責任が全然ないってわけじゃないだろうが!」
「いえ、私は今、研修中ですから。責任はありません。」
「お前らは何歳まで研修中なんだ?」
「55歳までです。」
「腐った世の中だぜ!!」
言って気分が良かった。
(マリアが止まっているのもいいもんだ。たまには言わしてもらわないと。)
「よし。痕跡調査員!」
知花はうなづき、痕跡調査責任者を呼んだ。
「では、分かったことを一通り報告してください。」
「はい。死亡推定時刻は昨夜11時30分ごろ、死亡原因は窒息死。クビにはこの縄のあとがあり照合の結果この縄と確認できています・・・」
「縄に指紋は?」
「ありません。」
「この縄は、どこで、何に使われているんだ?」
「イワーク博士の研究所で・・・何に使われているのかは不明です。」
「イワーク!・・・あのイワークか!・・・なんで、イワークの縄がここにあるんだ?」
「亡くなったキド博士が直接とりに来たとイワーク博士が言っています。」
「ふむ・・七厘は?」
「同じくイワーク博士のものです。」
「イワーク博士がキド博士に渡したと・・・別な誰か、見た者はいるのか?」
「いません。全てイワーク博士の言葉によるものです。」
イワーク・・・AIコンピューターの発明者。その後、目立った研究成果もなく、過去の功績のみで研究継続を許可されている男・・・・1年前、女性職員を使って人体実験。所内で大問題になったがマリアの最低でアッサリ許されてしまった。
「何か目立った痕跡はないか?」
「あります。」
イチロウは緊張した。
「窓と換気扇が接着剤でふさがれています。それにドアもです。」
イチロウは窓に歩み寄った。外の・・・もちろん研究所の広大な壁の中ではあるが・・・町の景色が見えた。のどかに桜の花が咲いていた。イチロウは思わず時計を見た。午前10時35分だった。
(美波が死んで・・・53時間か・・・)
イチロウは激しく首を振り目の前の仕事に集中した。
窓の縁にはぐるりと丁寧に接着剤が塗られていた。もちろん窓は開かない。カギもかけてある。何百年も前からある、普通の半円形をした回転させて施錠するものだ。
換気扇はシャッターつきのものだった。ファンは奥のほうにある。シャッターのところが接着剤で密閉されており奥は全く見えない。ドアも同様。上から下までご丁寧に接着剤で内側から密閉されていた。
「どうやら博士は、初め、七厘で一酸化炭素中毒自殺を図ったらしいな。」
「はい。そのようです。」
「体内から一酸化炭素は検出されたか?」
「ハイ、しかし、致死量ではありません。」
「そのほか気付いた点は?」
「特にありません。」
「わかった。行ってよし。」
調査員は証書を送信して引き上げた。知花は始めてみるイチロウの仕事人らしい姿と、てきぱきとした質問に感心した。
「これは自殺じゃないな。」
「え?」
「自殺なら一酸化中毒で死んでいる。」
「何らかの理由で、自殺方法を変更したのではないでしょうか?・・・たとえば・・・・ガス漏れで、他の人を巻き込むとか・・」
「だが、この部屋のガス漏れ対策は完璧だ・・・」
「イチロウさん、大丈夫ですよ。これは自殺ですよ。だって、窓もドアも、鍵は内側からかかっていたんだし、外からではかけられないですから。」
「マリアならかけられる。」
「マリアは昨夜は既に止まっていました。」
「首吊りよりも、七厘で一酸化中毒した方が楽だ。」
「したことあるんでか?・・・楽じゃなかったのかもしれませんよ。」
イチロウは少しムキになってきた。
「警察学校で楽だと習ったんだ!」
知花は黙った。
「とにかく・・一度、イワーク博士に当たろう。」
部屋を出るときイチロウはもう一度ドアを見てみた。ドアは、かなり破損していた。接着剤で固定されていたので、開けるときに壊さざるをえなかったのだろう。イチロウはかがみこみ、接合部分を手にとって調べた。ドアは内側から外側に開くようになっていた。内側はドアよりも枠のほうが5ミリずつ程狭くなっており接着剤はその部分に塗られていた。
「これなら、接着剤を縁の部分から塗ってからドアを閉めても同じようになるかもしれない。」
「でも、外からロックできません。」
確かに、外のノブには鍵穴も何もなかった。