推理小説 変態と催眠術
1
変態にして単細胞な俊介は、すでに、自分にも催眠術がかけられると信じこんでいた。
俊介は大金持ちの一人息子だった。彼の親はパチンコチェーン店を全国に展開しており業界のキングたちの一人だった。
彼は今、彼女と二人でアダルトビデオを見ていた。都内一等地の豪華なビルの豪華なマンションの一室。薄型大型モニターに女優の肢体が映し出されていた。スピーカーはセットで200万円もするものでボリュームを上げると実聴以上の臨場感を味わえた。
今回のDVDは催眠術モノで俊介の変態趣味にマッチしていた。観ていると催眠術師はそれこそアっと言う間に女のコを催眠状態にしてしまい、ありとあらゆる変な状態へと落としていた。モニターの中の女のコは水を飲んで酔っ払ったり、人差し指をアイスクリームだと思ってペロペロなめたりしていた。
一通りの山場が過ぎると俊介はDVDに興味を失ってしまい、隣に座った女のコの方に椅子の向きを変えた。
「ええーと…どうだったけ…あっそうだ!」
俊介は自分の顔の横で右手でVサインを作って女のコに向けた。
「指をジーっと見てください。」
「そんな!急にやってもかかるわけないじゃない!」
女のコは元気に笑った。19歳くらいの魅力的なコである。俊介は変態でしかも、ひどい間延びした馬鹿ヅラのくせにナゼか女のコにはモテモテだった。 もちろんそれは金のおかげではなく、俊介の周りの誰にしてみても不思議でならない現象だった。ただ、それは、一旦軌道に乗り出せば…という条件付だった。
「笑わないでください。はい、ジーっと見て!」
女のコが黙って、じーっと指を見つめだすと俊介は、その指をすばやく目潰しのように女のコの目のところへ突き出した。女のコが驚いて目を瞑ると
「あなたの瞼はピッタリとくっついてしまいました。…もう、開きません。」
普段のキャラからは考えられない、落ち着いた声だった。女のコの意識が一瞬、真剣になった。
俊介がゆっくりと手を離した。女のコの瞼は、細かく震えていた。
「開けてごらん……ホラ!開かない!!」
「ホントだって!!」
沖縄は今日も暑かった。太陽は真上にあった。万座ピーチの砂浜はまぶしく輝き、エメラルドモスグリーンの海は人魚が顔を出しそうなほど美しかった。にぎやかに若いコや若者の声が飛び交い、おっさんたちも、おばさんたちも子供たちとも無邪気にはしゃいでいた。皆、明るく躍動していた。
宮本は俊介の話を聞いて、ニヤニヤ笑っていた。
(また、ホラが…)
宮本は俊介の大学の友達だった。彼は頭が良く口数が少なく、良識的な人物だった。それが、どういうわけか世の中、不思議なもので、変態の俊介と相性が良かった。だから宮本はもちろん金が目当てで俊介と付き合っているのではなかった。しかし、当然のごとく今回の旅費などは全て俊介のおごりだった。彼らはお盆があけたころ沖縄へやってきた。大学四年間は毎年そうするつもりだった。去年もそうだった。あの、妙な事件が起こった去年……。俊介にとっては宮本はアドバイザーであり、参謀であり、なによりも女を引っ張ってきてくれるナンパのマスターであった。
「それじゃ、世の中、催眠術師だらけになっちゃうよ。」
宮本はトロピカルジュースをすすった。彼は昼は決して酒は飲まないし、ナンパもしなかった。昼間からずーっと女の相手をしているのは嫌だった。それに、非効率的なことはしたくない性格だった。
「宮、これを見ろ。」
俊介は自分の顔の横でVサインを作った。宮本は最初、皮肉っぽい目つきで俊介を見たが、今回は付き合ってやることにした。俊介は鋭く宮本の両目を潰すような動作をし、宮本が驚いて目をつぶると、その指をゆっくり離した。宮本の瞼は小刻みに震えていた。
五分後、宮本は名前を聞かれて返事が出来なかった。
「え?俺?俺の名前?俺の名前なんか…あれ?」
「じゃ、俺は?」
「俊介。」
「お前は?」
「俺?」
宮本は頭を抱えて考えた。
「オレー???」
「これはなに?」
「サンダル」
「あれは?」
「万座ビーチホテル。」
「お前は?」
「俺?」
宮本は笑い出した。自分の名前がどうしても思い出せなかった。
「チッキショウ……」
なぜか無性におかしかった。催眠術のせいで自分の名前が思い出せなくなっているのは分かっているだけに。
「なんでだよ。」
しかし、彼は無理に名前を思い出そうとはせず、そのまま何事もなかったようにトロピカルジュースの続きを飲んだ。彼は残り少ないであろう夏を楽しんでいた。
彼らから三十メートルほど離れたところにビーチバレーのコートが作られており、これから、ちょっとしたイベントが開かれようとしていた。
夜。
変態の俊介は安民宿に行きたいと言ってこだわった。俊介の家は大金持ちだし、宮本はいつも、高級ホテルがよいと言うので、俊介は安民宿に泊まった経験がなかった。
「玄関に安いサンダルが脱ぎ散らかしてあるのを見るとゾクゾクするよ。」
と、彼は言った。テレビで見て、憧れていたのだという。
「じゃ、お前たちはみんなで、そっち行ったら。俺は…知佳ちゃん…と、ここへ泊まるから。」
それで、俊介は宮本がナンパした美和ちゃんと武美ちゃんと千秋ちゃんと一緒に彼女らが泊まっている民宿・やんばる…に泊まることになった。彼女らはいずれもビーチバレーの選手だった。もちろん、ナンパされるくらいだから、スター選手ではなかった。しかし、実力では決して引けを取らないトップ選手だった。当然、取り巻きがいっぱいいたのだが、なんだかんだ言って宮本が全員、追い払ってしまったのだった。所詮マイナーなスポーツなので宮本の実力を持ってすれば、さほど困難ではなかった。
美和ちゃんはアイドル顔負けの美人だし、武美ちゃんはちょっとエラはり気味ではあるものの十分セクシーだし、他の二人も同様だった。何より彼女らはビーチバレーの選手だけあってスタイルは抜群だった。
「いやぁ、ああいう注目を集めているコをつれてっちゃって民宿なんかでみんなでメチャクチャしちゃうのがしたい。」
と俊介が要望したのだった。
それでその夜、俊介の要望は思う存分、叶えられた。
次の日の朝、宮本がホテルで朝食のバイキングをチョイスしていると意外にも俊介が声をかけてきた。
「お前、民宿に泊まったんじゃなかったのか?」
「朝飯はバイキングがいい。」
知佳ちゃんも今朝早くタクシーで 民宿・やんばる に帰ったから、入れ替わりだった。
俊介は、昨夜、四人で乱交パーティーみたいなのをしてしまったとか、例の催眠術を使って盛り上がったとか、余計なことをペラペラ喋りだした。彼女たちは本気で北京五輪をめざしていて練習とか凄くしているから、最高の体だったとか、何ちゃんと何ちゃんがライバル意識むき出しで布団の上でも張り合っていたとか…
「いやぁ、体のいいコは声もいい!民宿中に響き渡った。いや、隣の民宿にも聞こえた筈!!」
宮本はなるべく人の少ない隅の席を目指して足早に歩を進めた。
その時だった。館内放送がながれた。俊介と宮本にお客様が来たそうだから、至急ロビーまで来いというのであった。
「え?すぐ?…どうする?これ?」
「食ってから行くさ。」
宮本は当然のごとく言うと、席について
「頂ます。」
と呟いた。
ちょうど死体が運ばれていくところだった。作業員が砂に足を取られて死体が少しゆれた。死体を覆っていたビニールシートが浜風に煽られ隠されていた死体が半分ほど見えた。水着姿だった。視力のよい宮本には、その手のひらが目に留まった。はっきりと見えた。紫にむくんだ手のひらにロープを握ったあとがクッキリと残っていた。
「二人?」
俊介と宮本を見るなり刑事らしき男が言った。
「いや、それが、こっちの人が俊介さんですが……どうしても、こっちの、人と一緒じゃないと来ないというモンですから……へへ。」
聞かれた男は答えた。
刑事たち二人は現場の間に立っていた。民宿は一部二回の平板な建物だった。海側に向かった部屋にはガラス戸が着いており、直接外から出入りできた。問題の部屋の外には青いビニールシートがテント状に覆いかぶさるように張られており、宮本と俊介は、その中に入るように言われた。部屋の窓は開いていた。部屋の中には洗濯干し用らしいロープが例の不気味な輪を形作ってぶら下がっていた。
刑事は具志堅といい、部下は渡嘉敷という名前だった。二人とも小柄だったが、具志堅のほうは、いかにも老練といった感じで抜け目ない、精悍な顔つきで体も引き締まっているのに対し、渡嘉敷のほうは少々太っていてニヤけていて何となく間抜けに見えた。ただ彼は言葉遣いは丁寧だった。
「自殺の原因に心あたありはありませんか?」
簡単な挨拶が済むと具志堅が尋ねた。夜中の三時ごろ女のコが一人、ここで首を吊って自殺したのだ。宮本がナンパした中の一人の美和ちゃんだった。
「え?いや、別に……」
具志堅の質問に答えて俊介は昨夜の彼女の様子を説明した。溌剌とビーチバレーをしていたこと。美和ちゃんと武美ちゃんコンビは準優勝して、そのあと適当なところで宮本が声をかけて……乱交パーティーをしたというところへ来ると具志堅は眉をしかめたが俊介は意に介さず平気で続けた。
「そのあと皆で乱交になってヤリまくった。」
「そこ!!」
と具志堅が鋭く指摘し、もう少し詳しく説明を求めた。
「そのあとで、彼女の様子はどうでした?後悔とか……」
「全然。なんで?」
昨日の四人は、そういう行為にはフリーで、皆、楽しんで満足した様子だったと俊介は話した。宮本も、あの四人は確かにそういうタイプだったと思った。
「うむ。」
「他の人たちの話と全く同じですね。」
「うむ。」
他の三人の女のコも、宿のお上さんも一様に、同様の意見を述べていた。
「自殺の原因全くなしだ。」
「本当に自殺なんですか?」
宮本が口を挟んだ。
「それは、間違いないです。内側から鍵がかかっていましたから。」
渡嘉敷が言った。彼には年下のものにも敬語を使う習慣があった。
宮本は現場である部屋の中を覗き込んだ。
部屋はワンルームで風呂もトイレもなく奥にドアが見えた。宮本たちが立っている側は人の出入りできる大きなガラス戸だった。俊介のマンションのベランダ側についているのと酷似していた。部屋は広縁のついた和室で、ガラス戸の内側には幅二メートルほどのフローリングの床の部分があり、その奥が畳みの部屋だった。フローリングの椅子二脚は端に寄せられてあった。フローリングと畳の部屋の間に敷居があったが戸はなかった。邪魔なので大家が処分してしまったのだろう。例のロープは、その分かれ目の天井に走っている横柱に結び付けられていた。垂れ下がったロープの横に華奢な椅子が置いてあった。
「ふーん……あのコが一番可愛いコだったのに、なんだか切ない気分だな。」
俊介が余り悲しげでもなさそうな表情で行った。
宮本は本当に悲しい気持ちがしていた。
「ドアの合鍵とかないんですか?」
「あー……」
「かまわん、説明してやれ。」
具志堅が言った。宮本から発せられているオーラのようなものを具志堅は感じていた。年下ではあっても逆らってはいけない人間……という雰囲気を宮本は生まれながらに持っていた。
「ありますが金庫の中でした、お上さんしか取り出すことは出来ません。お上さんは昨夜、旦那さんが急病でここから五キロ離れた実家へ泊まりに行っていました。一晩じゅう旦那さんの看病をしていたそうです。」
「大丈夫なんですか?お上さんが宿から離れて。」
「携帯の時代ですからね。」
渡嘉敷は答えた。
部屋がシンプルなだけに完璧な密室だった。試しにガラス戸についても聞いてみたら半月キー(クレセント錠)が完全にグルッとしっかり回ってロックされていたという。天井裏とかそんなものはなく完璧に密室だった。
「完璧に自殺……」
ありえないように宮本には思えた。彼は女を見る目に自信があった。昨日の様子からして自殺するなど絶対にないと思った。よほど頭がいい女ならそれも演技だったかもしれないが彼女はそんなキャラではなかった。どちらかというと少し足りない感じのアッケラカンとしたコだった。
「自殺なんかありえない……しかし他殺もありえない……」
宮本はつぶやいた。と、その時、俊介が突然すっとんきょうな声を出した。
「え?じゃ、催眠術?」
「催眠術?!」
渡嘉敷がつられてすっとんきょうな声を出した。
俊介は自分で突然、催眠術などと言したので、いきなり容疑者にされてしまった。昨夜、乱交パーティーをする前、女のコたちに催眠術をかけていたのが発覚したのだ。たちまち昨日の三人の女のコが呼び出されて詳しく催眠の様子などが披露された。
「おまえが催眠術で自殺させた。」
具志堅はそう言った。催眠術で自殺させることなど出来るのか?と宮本は思った。が、具志堅はその線で推理と調査を始める気らしかった。俊介が警察署へ連れて行かれるのは時間の問題だった。
「チョット待ってください。いくらこいつでも、自分が犯人だったら、催眠術だなんてそんな間抜けなことは言い出しませんよ。」
宮本は食い下がった。
(俊介が拘留されたら、俺の今年の夏が終わってしまうし。)
「俊介のほかに催眠術師が泊まっていたかどうか調べてください!!」
苦し紛れの一言だった。ところがなんと
「はい、私です。」
と答えた人物がいた。
「催眠療法師といいますがね。」
四十がらみのその男は黒人かと思うほど真っ黒に日焼けしていた。背が高く引き締まった体をしていて筋肉質で凶暴そうな雰囲気だった。奥深い目がいかにもインチキ臭そうな雰囲気をかもし出していた。男は三刃(さんどす)と名乗った。
「こんな小さな民宿に偶然、催眠術師が二人?!」
渡嘉敷は目を回しそうに驚いた。
三刃は一週間ほど前から、宿泊していた。住所は東京だった。たまたま、二週間の休みが取れたので休養がとりたいと思いたち、友人にせがんで、この民宿の予約を譲ってもらったのだと言った。この一週間、催眠術を使って人気者だった。亡くなった美和ちゃんやそのチームメートとも面識があった。
「昨夜は何をしていましたか?」
「寝ましたよ。普通に。なにか?」
「昨夜は乱……その、乱痴気騒ぎのようだったそうですが、眠れましたか?」
「はい。……そんなことより、催眠術で自殺なんかさせるのは絶対不可能ですよ。」
三刃は説明を始めた。潜在意識の壁というのがあって、催眠術はそれを敗れないという。たとえば、電車の中でズボンを脱ぎなさいと催眠をかけても絶対に脱がないと。ましてや、自ら死ぬなどと。
「専属に何年も催眠療法師にかかっていて全幅の信頼をおいていたら、もしかしたら、可能かも……」
ということである。しかし、三刃も俊介も美和ちゃんに会って、そんなに経ってない。
(何か、特別な暗示法があるのではないか?)
と、具志堅は考えた。彼の知っている催眠術の知識はテレビで何回か見た、それっきりだった。それでも何か、(これを見たら、こうしなさい。)みたいな暗示法で本人が、それをすると死んでしまうと知らない間に首を吊らせる方法があるのではないかと思った。
「そうだ、小道具。」
催眠に使う小道具……から何かヒントが掴めるかもしれない……具志堅は思いついて、三刃と俊介の身の回り、それに、民宿内や、この辺に捨てられているものなどを片っ端から調べ始めた。
俊介は連絡先を聞かれ、一旦ホテルへ帰ってもよいと許可が下りた。しかし、こんな状況ではゆっくりバカンス気分に浸れるわけがない。宮本は事件を解決してしまいたかった。それで、刑事の話をこっそり立ち聞きすることにした。ところが、あきれたことに俊介が、ホテルに帰ってゆっくりしたいと言い出した。
「凄い神経だな。おまえ。」
宮本は言ったが俊介はタクシーを呼んでさっさと行ってしまった。
宮本は改めて民宿を良く見てみた。玄関が端にあり、あとは現場と同じ部屋が十三部屋ならんでいて、一番向こうが食堂と風呂とトイレになっているだけの簡単な民宿だった。二階がお上さんの仮住まいになっていた。ドアは鉄製で頑丈だった。ガラス戸側から見るとドアの向こうに廊下があって玄関と食堂に直結していた。玄関の前にシャワーがあった。食堂にも玄関のような入り口があり、俊介があこがれたようにサンダルがたくさん脱いであった。
事件のゴタゴタが一段落して十五人ほどの人々がテレビを見たりアイスを食べたり、ビールを飲んだりしていた。
刑事たちは現場の部屋に集まっていた。宮本がそっと覗いてみると具志堅が、ひょっとこの面を手にしていた。
「俊介さんがこれを被って被害者に妙な催眠をかけていたと、証言があります。」
と渡嘉敷が説明していた。
(はじめから、ひょっとこみたいな面なのに、ひょっとこの面かよ。)
宮本は噴き出しそうになったが、その顔は無表情を保った。
(しかし、俊介は人を殺して平気でいるようなやつじゃない筈だ。多少変態だが。)
宮本は、昨日、美和ちゃんをナンパした手前、責任を感じていた。自殺ではないことを前提にして全身全霊で考えてあげたいと思った。と、その時、パイン並木のパインの陰に武美ちゃんがいるのがチラっと見えた。昨日の四人組の一人。武美ちゃんは美和ちゃんと同じチームで、やはり、オリンピック目指して真剣に取り組んでいた。首にスカーフなんか巻いちゃって目立ちがりでサクセス思考が高いように見えた。知的で頭のレベルは明らかに他の三人とは違っていた。
(むしろ、あのコのほうが自殺するタイプだよな。)
と宮本は思った。と、その時、武美ちゃんの横にもう一人、誰かいるのが見えた。三刃だった。宮本は直感的に二人が犯人だと感じ、必死に考えた。
「やれやれ、この民宿がいけなかったのかねー。」
やりきれないといった感じの声に振り向くと五十がらみの真っ黒に日焼けした小柄なおばさんが立っていた。
宮本が物問いたげに見つめているとおばさんは、あとを続けた。
「防音をしっかりさせたんだよ。建てるときにねー。何しろ若い人は、いくら注意しても夜中に騒ぐもんだから。」
なるほど、見ると、この民宿は平屋ながら鉄筋コンクリートで出来ていた。
「息子が型枠大工やってるのさー。」
おばさんは民宿のお上さんだった。
「よほど大声を上げないと隣には何も聞こえんように出来てるんだよ。」
「でも、自殺だそうですよ。叫びながら首は吊らんでしょう。」
それが、助けを呼ぶことがあるんだという。以前、村の若い娘が首を吊った際、途中で苦しくなって自分で喉のところのロープに両手を掛け、要は懸垂のような格好になって叫んで助けを求めたのだという。
「余り大きな声は出なんだそうだが、ちょうど、通りかかりモンがいてさー、助かったんだよ。」
「へぇー……」
宮本は少なからず驚いた。ついでに今回の事件のことも聞いてみた。
お上さんの話で事件のあったとき、特に騒ぎや物音はなかったらしいこと、現場のカーテンは半分閉まっていたこと、目撃者などはいなかったことや、夜中で全員ぐっすり寝ており、したがってアリバイのあるものも、いなかったことが分かった。
お上さんは刑事たちが話しているのをじっと聞いていたのだという。
「ひとつ、刑事さんたちが不思議がってたことがあるんだよ。」
首を吊る人というのは、普通、椅子の前にロープをたらして首を吊るそうだが今回は椅子が横にあったのだという。
お上さんは美和ちゃんは飛び切り明るい性格だったといい、自殺なんかじゃないと強調した。宮本に名推理をしてもらいたいというようなことを言った。
それで、昼食はお上さんのおごりだった。
食堂からパイン並木を見ると女が一人、座って、海を眺めているらしいのが見えた。
パイン並木のところまで来ると漣の音が聞こえてきた。宮本は目指す場所に着いた。ベンチに座っていたのは、予想通り武美だった。顔には泣きはらしたあとがありありと残っていたが既に瞳に涙はなかった。宮本がベンチに座っても、 武美は無視していた。ベンチの横にコカコーラの空き瓶が落ちていた。
「三刃はマナーが悪いな。」
武美は黙っていた。
「あいつ……外人か?」
「……」
「美和ちゃんを殺したのはあいつかもしれないぜ。」
宮本は海を見つめたいた。沖縄の海は何処から見ても美しかった。
「え? どうして?」
武美の声は、心持ち枯れていた。
「催眠術。」
宮本はコカコーラの空き瓶を拾って近くのパインに投げつけた。パインの陰から三刃が現れた。怪しい目が深い目窪の奥でニヤけていた。パインの樹に手を掛けてカッコつけて宮本のほうに向いた。
「催眠術で、首を吊らせるなんて不可能ですよ。さっき刑事さんに説明したとおりにね。」
「……」
間があった。
「お察しのとおり、私は帰化人ですよ。軍医上がりでね。」
三刃は海へ視線を向けた。
「沖縄は美しいですね……基地さえなければね。」
彼はニヤけながら、パインの樹から手を離した。コカコーラの空き瓶を興味なさそう跨いで民宿のほうへ帰っていった。
美和の借りている部屋に入るなり宮本はまず、床をチェックした。床には絨毯が敷いてあるものの床と壁はコンクリートだった。次に天井をチェックした。天井に細工があって、隣に抜けられるかどうかなど、刑事たちに聞けば教えてくれなくもないかもしれないが、これ以上、部外者が根堀葉堀聞くのは気が引けた。
天井板はは釘でびっしり固定されていた。
「君は、夕べここで寝ただね。」
「ええ。」
武美が答えた。宮本は渋る武美をなんだかんだ言って、現場へ連れてきてしまったのだった。
「何時ごろ?」
「わかんない。二時ごろじゃないかしら?」
「俊介が帰ると、皆、さっさと自分の部屋に帰ったわけか。」
「そう。」
「物音とかは聞こえなかった?」
「聞こえなかったわ。ていうか、すぐ眠っちゃったの。」
「寝るのは得意かい?」
「そうでもないけど。」
「ふん……やっかだな。」
「なにが?」
「すぐ眠るようにと、俊介が催眠術をかけたかもしれない。」
幸い天井板は石膏ボード製だった。釘を抜けば確実にあとが残る。この部屋の天井に、そんなあとはなかった。
武美の隣の部屋が美和の部屋で、そこで彼女は首を吊っている姿で発見された。その向こうは知佳の部屋だった。
知佳の部屋にいくと千秋がいた。知佳もいた。部屋に入ると挨拶もそこそこに宮本は天井を確認した。異状はなかった。
千秋は、いきなり入ってきて天井をじろじろ見ている宮本に文句を言いたげであったが、宮本がひと段落ついてグッと視線を向けると二人は蛇に睨まれた蛙のように動かなくなった。
「美和ちゃんが死んでるのを見つけたのは千秋ちゃんだって?」
千秋は宮本に聞かれるままに答えた。
今朝、六時ごろ、朝の海が見たくて散歩して返ってると、美和の部屋のカーテンが半分だけあいているのが見えた。変に思って中をのぞいたのだという。
「なるほどね。ガラス戸の前に、足跡とかは?」
「全然、気がつかなかったわ。」
千秋は申し訳なさそうに言った。武美と同じように千秋も俊介が帰るとすぐ自室へ戻って眠ってしまったのだという。物音を聞かなかったかと聞くと
「そういえば……」
と武美がつぶやいた。
「夜中に、何か倒れるような音が聞こえたような気がする。」
「どんな?」
「何か、余り大きくないもの……あ、でも、何か引きずっているような……」
「千秋ちゃんは?」
千秋は突然振られて、詰まった。一秒か、二秒か……それから、小さな声で
「わかんない……」
と言った。
(知佳は何時ごろ帰ったっけ?)
と宮本は考えていた。
すると横から知佳が
「私も、その音、聞いたわ。」
と口を出した。
「私がここに、着いたのは、あんたたちのプレーが終わった直後だったのよ。」
「すぐ寝たか?」
宮本が勢い込んで聞いた。
寝たけど、寝付けなかたわ。私の部屋、クーラーの調子が悪いのよ、暑かったわ!!」
「どんな音だった。」
「うーん、なにか、中途半端なものが倒れる音ね。二、三回、聞こえたと思うわ。」
「わかった。ところで、ここへ帰ったとき、俊介は見なかった?」
「玄関であったわ。私、ああいうタイプ苦手なのね。バイキングがどうのと独り言を大声で言いながら、帰って行ったわ。私の乗ってきたタクシーで。」
「君は何で、こっちへ戻ったんだ?」
「突然、生理になっちゃったからよ。」
宮本は黙った。いろいろと、その女なりのケアー法があるのだろうと思った。
食堂はすでに普通の海水浴客の賑わういつもの風景と化していた。
宮本は落ち着いて考えようと、パイナップルを頼んだ。ちょうど、お上さんが食堂を手伝っていて、パイナップルも奢りになった。
「ご主人は、持病でもあるのかい?」
若い宮本に、ため口を聞かれたのが、お上さんには嬉しいようだった。
「喘息もちなのよねー。」
静かにパイナップルを食べていると、事件のあったことなど信じられないような、夏の気持ちいい日だった。
パイナップルはとても甘かった。おいしかった。宮本の頭は急に冴えてきた。食べ終わるころには一つの推理が組み立てられていた。
(催眠術で人を自殺させることは出来ない。しかし……)
宮本の考えた方法だと、今回の密室殺人は可能だった。証拠はない。しかし、もしかしたら、あるかもしれない。彼はパイナップルの最後の一片を食べ終わると、それを確かめるべく立ち上がった。
さて、突然だが、作者はここで、あの、憧れの、かっこいい言葉を言ってみたい。
「私は読者に挑戦する。
推理に必要な材料は全て皆さんに説明しました。HPに掲載するだけのPR用作品なので余計なドラマなどもいっさい書いていません。
あなたには、犯人と、犯人が使ったトリックが見破れますか?」
2
宮本は、現場へ向かった。太陽はほぼ真上にあり、風は熱かった。
(これが正解なら、残りの夏をまだまだ満喫できる。)
と宮本は思った。現場の前まで来た。青いビニールシートは取り片付けられつつあった。砂は踏みあらされ足跡など、判別の仕様もなかった。クーラーの室外機が唸っていた。
現場の部屋のカーテンはすでに開け放たれていた。刑事たちの作業は一段落したらしい。おそらく彼らは俊介と三刃を何かにかこつけて捕まえて拘留期間ギリギリまで尋問して捜査を終えるつもりだろう。宮本は例のロープがぶら下がっていた横柱を見た。それは天井から短い縦棒で吊り下げられているようになっており、ちょうど梯子を横にしたような形だった。横柱に、ロープの吊るされていたあとがクッキリと残っていた。
ガラスをノックすると警察関係者一同がうるさそうに宮本を見た。宮本はいつもの鋭い眼光と不適な薄笑いを漂わせていた。具志堅が渡嘉敷にガラス戸を開けるようゼスチャーした。
「なにか閃いたか?名探偵。」
宮本は言った。
「刑事さん、その椅子、壊れていたでしょう?」
「いや……」
「壊れてました。」
渡嘉敷が、すかさず答えた。
「壊れてた?」
「はい、死体が発見されたときは普通に置いてありましたが、どけようとして持ち上げたら足がひとつ外れました。」
具志堅は大ショックだった。
彼は、自分は既に犯人を突き止めたし、トリックも見破ったと認識していた。保険屋に当たったところ、美和は武美に、武美は美和に保険をかけていることが早速わかった。二人は運命共同体としてお互いに保険を掛け合っていたのだ。が、悲しいかな、ライバルチームに勝てなくて苦しんでいくうち、二人はお互いに、自分たちが勝てないのはパートナーの実力が低いせいだと考えるに至った。いつしか、憎しみあるようにすらなっていた……
彼の推理はこうだった。
三刃は美和と武美と両方と出来ていた。彼は、どちらを殺しても、相手から殺害料がもらえるように話がつけてあった。もちろん、美和も武美も相手が自分と同じ ”パートナー殺し” を計画しているとは知らなかった。
三刃は、美和に持ちかける……武美を殺すために実験をする……と。
「俺はお前にこれから、ある催眠術の実験をする。上手くいけば、武美に実際にかける。先ず、部屋に入って内側から鍵をかけ、椅子に乗り、ロープに首を通して待っているんだ。もちろん、大家から合鍵を借りてあるから、お前が本当に首を吊ってしまったら、すぐ助ける。」
と、先ずこう言っておいて、催眠をかける。
「お前は、ヒョットコを見ると……ヒョットコに吸いつけられるように近づいていく……」
そうして、この ”実験” と称した ”殺人” は上手くいって、美和は死んだ。今後、千秋から殺害料を受け取る算段である……
この方法には一つだけ不都合な点があるように見えた。大家が合鍵を誰にも貸してないと証言している点だった。三刃は、他の鍵を見せて合鍵だと言わなくてはならない。だが、それも催眠術で可能な筈だった。
ところが、今、宮本が切り出した質問は全く彼の予想外であり、しかも、宮本の予想は的中していたのである。
具志堅は、自分でも気づかないうちに問題の椅子をいじっていた。椅子は全体に、か弱いパイプで出来ていた。座る部分だけが木製でパイプ製の足はそこに嵌められていた。一本の足がゆるゆるになっていて、持ち上げると、スコンと抜けた。他の足は接着剤で強固に固定されていた。
「?」
具志堅はワケが分からなかった。少なからず狼狽した。が、彼の鋭い細い眼は彼の戸惑いを上手く隠した。
椅子に足を嵌めて立たせてみると、少しグラついた。
やがて、宮本が口を開いた。
「被害者はその椅子を使って内側から半月キーをまわしたんですよ。その椅子は背もたれが長いですから、そこから届くんですよ。」
「そこから?」
「ぶら下がっていたところから。」
「なんだと!?」
「犯人は先ず、何らかの方法を使って美和ちゃんを椅子の上に立たせ、輪に首を通させる。次に美和ちゃんの体を抱き上げてそっとぶら下げる。つまり、首吊り状態にするんです。ぶら下げておいて、犯人は、すかさずガラス戸を開けて外に出て、直ぐまたガラス戸を締めたんですよ。」
「……」
「すると美和ちゃんは首吊り状態から逃れるために、横に置いてある椅子に乗るわけです。」
「……」
「それからまた犯人は中にはいってきて美和ちゃんを椅子から下ろしてぶら下げるんです。それで、また外へ出てガラス戸を閉めるんです。美和ちゃんが苦しがって椅子を蹴飛ばしたら、また、元のようにして置きなおせばいいんです。」
「……」
「それを繰り返すと美和ちゃんは、犯人が再び室内に入ってこれなくするためにガラス戸の半月キーをロックしようとするわけです……椅子で。」
警察関係者一同が水を打たれたようにサッと青ざめ、緊張した。が、具志堅はすぐ笑顔を見せていった。
「そうすると彼女は片手でロープをつかみ、片手で椅子を持って上手に半月キーを回さなくてはならない。」
「可能です。」
宮本は答えた。
「美和ちゃんが半月キーを回すのに使おうとして椅子を持ち上げると足がひとつ取れるようにしてあったんですよ。下は畳だから音なんか聞こえないだろうし極限状態にあるので、足が取れたことに気がつかず、ロックし終えて椅子を立てようと思ったときに……」
「しかし、椅子は普通に置かれていた。」
「今、僕が説明したのが犯人の計画だったんですが、実際には美和ちゃんは違う方法を取ったんですよ。」
「どんな?」
「自分の体を揺すって足の指で半月キーを回したんです。だから、その横柱にそんなにハッキリとロープを吊るしたあとがついているんですよ。体を揺すったときにこすれたんですよ。」
具志堅は横柱を見なかった。おかしな要素として記憶に入っていたのだった。
「なるほど、つまり、ロープを両手で掴んでか!待て、体を揺すって足で半月キーを足で回す……いいだろう、しかし、そんなのはスポーツ選手だったら、簡単に出来てしまうんじゃないか。半月キーを回した後、椅子の上にひょいと乗ってしまう。」
「もちろん、そのまえに十分、吊るしっぱなしにされたんでしょうね。犯人は美和ちゃんの腕が突かれきるまで両手で限界が来るまで、足首を掴んで下に引っ張っていたんじゃないでしょうか?」
「何分くらい?」
「わかりません、五分か十分か……ことによると三十分くらい。」
皆しばらく黙り込んだ。余りに恐ろしい殺人光景に思考が停止したようだった。
「本当に限界かどうか、どうして分かるんだ?」
「その椅子はグラグラしてますから、ほんとに限界じゃなくても、それに近ければバランスを崩して……はやり、死んでいたでしょうね。」
皆、考え込んだ。三十秒ほどたった。渡嘉敷は具志堅がなんと言うかと、彼のほうを見た。具志堅は、敗北を悟っていた。
(……催眠術で人は殺せない……俺の考えた方法で被術者が自らの命を危険にさらすようなことはありえない……わかってはいたんだ!! ……しかし、他の方法は思いつかなかった!」
やがて彼は努めて落ち着いた声で尋いた。
「証拠は?」
「ありません。しかし、犯人が椅子を使わせようとしたのだとすると……何分くらい"もつ"か実験したかもしれません。」
それから、宮本と警察一同は食堂へ向かった。
(三刃は俊介の変態プレーからこのトリックを思いついた。前々から計画していたものじゃない。)
そんな、急ごしらえの殺人の割りに三刃が殺人トリックに自信過剰で、ほとんど偽装工作などを施さなかったのが宮本の勝算だった。
(急ごしらえのあとが残っているかもしれない……)
食堂で一同は、冷やし中華をそろそろと食べていた武美を見つけた。千秋も知佳も一緒にた。具志堅が武美に首に巻いたスカーフを外すようにとにと言った。武美は青ざめて身を硬くしたが、経験豊富な具志堅は、有無を言わさず、とってしまった。千秋が小さく悲鳴を上げた。知佳はビクッと震えたあと、凝固したように武美の首筋に見入った。食堂のあちこちから息を呑む音が感じられた。実際にグラスの割れる音がした。
武美の首は紫に腫れ上がり、恐ろしい毒蛇が巻きついているようだった。
飛行機は東京へ向けて機体を浮かせた。
「あー……終わっちゃったなー……」
俊介が脳天気に言った。
宮本の説明に俊介は余り耳を貸してないようだった。変態だから興味のある、なし、がハッキリしているのだった。しかし、三刃が自供した段になると
「なんて、恐ろしい殺し方なんだろう。」
とさすがに言った。
結局、宮本には、犯人の動機や人間関係は知らされずじまいだった。そんなことはどうでも良かった。(
今の世の中、人殺しの理由なんか、そこらじゅうに転がっている。)
「でもさ、美和ちゃんはどうして、縄に首なんか通したんだ?殺されるって分かるじゃん。普通。」
「何だ、聞いてたのか一応。催眠術だよ。普通なら、天井から吊るされている輪に首を通す女はいない。しかし、催眠術を使えば別だ。お前が変態プレーなんかするもんだから、犯人も変態プレーをしようと暗示をかけたんだ。ついでに言うと殺人行動の間は、ひょっとこの面をつけていたそうだ。ひょっとこに殺される……って、あらかじめ催眠をかけてな。」
「え? じゃ、俺のプレーが伏線になっちゃったわけ。」
「そう!」
俊介は黙った。ショックを受けているようだった。それを見て宮本はホッとした。
(こいつは変態だが、悪いやつじゃない。)
飛行機は今や沖縄を後にし、高く上昇しつづけていた。馬鹿でかい入道雲が窓の外に見えた。
(夏よ。もっともっと続いてくれ。)
宮本は思った。
終わり
